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 ボックスのタイトル : 当地と戦国時代ほか
 題名 : 織田信長の饗応料理

■徳川家康をもてなした織田信長の饗応料理/天正10年(1582)5月15日〜17日

 

  現代外交でも最も華やかに国と国との親交の交わりの証しとして、とくに国王制度を

 持つ国にいたっては豪華な晩餐会が執り行われている。

  武家社会では豪華な料理による饗応が、きわめて重要な儀式であった。その典型的

 なものは、将軍が臣下の家を訪れる「御成り」といわれるもので、室町将軍から徳川三代

 くらいまでは盛大に行われていたという。

  本格的な日本料理の本膳料理でもてなすわけだが、あいだに能を挟んで夜を徹して

 おこなわれる場合もあったという。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  有名な織田信長が、徳川家康を安土に招いての二日間の饗応料理の一端を覗いてみ

 よう。料理の豪華さはもちろんだが、膳や食器も豪華なもので、当時の信長の権勢をいや

 でも見せつける意図がうかがえるといわれている。

 

  ●家康が安土城に到着して最初の膳を再現したものとは?

 

    1)本膳・・・鯛の焼き物、鯉のなます、鮒ずしなど。

 

    2)二の膳・・・うるか、ほやの冷や汁、あわびなど。

             キジ  

    3)三の膳・・・雉子の胸肉、わたり蟹、山芋と鶴汁。

 

    4)四の膳・・・巻きするめ、椎茸、鮒汁。

 

    5)五の膳・・・まな鰹の刺身、ごぼう、鴨汁、削り昆布など。

 

            三方にからすみ〔金のこうたて(紙立)使用〕

 

      なお、お菓子類が、翌日の朝食に付されている。

      ※資料「天正10年安土御献立」(『続群書類従』より)  

 

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 ひとをもてなすことは、古今東西ずっと昔からあった。

さまざまなエピソードやドラマや目からうろこが落ちるような夢物語もある。

 

 信長が武田氏を打ち亡ぼして、長年の盟友であった苦楽を共にした徳川家康の饗応に

心血を注いだことは今にしてよくよく理解のできることである。

特に、京都公家のたっての願いを聞き入れて三条公を伴っての武田入りから、

東海道からの帰り道には、始めて見た富士山の美しさにはどんな感慨をもったものかは

まだ記録を見ておらないが、海道筋のみちみち、家康領での信長へのもてなしは、

家康の大変な気の配りようであったともつたえられている。

 

 信長が生きた安土桃山時代には、産業文化が大変な隆盛をみせている。

その大きな流れを創ったのが他ならぬこの信長であったことを誰しも否定はしないだろう。

 関所の廃止で人々の流れがどんなに加速して発展の誘発となったことかもしれない。

信長の陣頭指揮のもとに創られた二条城は、これまでの土塁や空掘のたぐいから周囲を堀で

囲い、お寺の石積み(穴積みなど)からヒントを得たといわれる石垣を高く積み上げた造りに

大きく飛躍発展、以後の城郭造りの典型となっている。中世城郭最大規模の近江の観音寺城

は山を削って造られ、浅井氏の小谷城などは瓦葺きではなかったという。

 安土の城下に創った楽市楽座といわれる自由な商業都市は、これまでの日本になかった。

これまでは特権階級の排他的な“座”による構造の中でしか商売ができなかった。

 信長の晩年にみせた入場券を売って安土城を見せたり、総見寺にみせた石仏から全国の

霊験あらたかな仏社寺本尊をかき集めるなど奇想天外な草案があったこと自体が面白い。

 

 

セールスポイント

 いつの世も、誰かをもてなすことこそ、ひとのひとたるしぐさを学べるものだ。

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