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 題名 : 学習ノート(1)

■おうみ諸子百家研究会(会員:男女5人)  IT-現代感覚の新店/モリ・ダイニング・サプライ/森口栄誠堂

 

 

  ソフィストの一人。 ゴルギアス(紀元前483-376頃)とは、

  「なにものも存在しない。存在していても知りえない。知りえても伝えられない

   古代ギリシャの哲学者は、中国の諸子百家とは、また違った色合いに染まったことばを残し

  私たちの生活の中に人のありようを投影させてくれる。

   ゴルギアスの言いたいこととはないか。 普段、私たちは言葉を用いて自分の思考や知識を

  他人に伝達しますが、言葉という伝達の媒体は完全な道具なのでしょうか。 私たちは自分の

  思いでさえ、うまく伝えられないのが実情でではありませんか? そう、言葉というのはおおよそ

  の手段としてしか機能していないのです。この言葉の中に認識の不完全さが含まれています。

   プラトンは、言葉という媒体は受け止める側の主観が入ってしまうため、自分の思いが正確に

  伝わるとは限らない。 目に見えている世界はすべてイミテーションだといっている。

                                    2011.07.03(日)

 

 

  熊本県の人。結婚後虚子に師事して頭角! 中村 汀女(1900-1988)とは、

  「外にも出よ 触るるばかりに 春の月

   汀女(ていじょ)は、この句の月を「伸ばせば手の届くところに見つけた大きな春そのものの

  月」だといっている。 

   ある夜の日、庭に出てみると大きくて明るいお月様。 みんな早く出ていらっしゃい。

  「外にも出よ 触るるばかりに 春の月」 季語は「春の月」で「春」。 手を伸ばしたら、

  すぐにもとどきそうに大きな明るい月が出ている。「早く出ていらっしゃい」と、家の者に声を

  かけた。この句は昭和21年、46歳とのときによんだ作品です。 いやな戦争から開放されて、

  平和な喜びが感じられる句ですね。 女性らしい感性で、写生表現により家庭生活の悲しみと

  喜びをよんだ。

                                    2011.07.02(土)

 

 

  シェークスピアのことば ウイリアム・シェークスピア(1564-1616)とは、

  「この世は舞台。人生は芝居のようなもの・・・  

   世の中に感動させるものは人の「言葉」である。 ことばが嵐となって17世紀のイギリスを沸

  き立たせた劇作家シェークスピアを見逃してはならない。 今でも、イギリスの数学者は、シェ

  ークスピアのせりふを口に出してすらすらと語りかけるという。 イギリスは、シェークスピア

  の国なのである。 そんなシェークスピアでさえも、無名の頃は、人に相手にもされなかった。

   彼の欠史は、1585年(21)〜1592年(28)である。この間にどこにいて何をしていていたのか、

  私が本当に知りたいのはそこのところなのにである。

                                    2011.06.05(日)

 

 

  ヨーロッパの雄、ユダヤ財閥/ロスチャイルド家 始祖マイヤー・アムシェル(1743-1812)とは、

  「マネーは永遠だが、国家はそうではない

  パリとロンドンを双頭とするロスチャイルド財閥は、金融と情報という21世紀の主要メディアを

 支配し、全世界の金、ダイヤ、ウランの地下資源をにぎる先端企業連合体である。

  18世紀末、フランクフルトのユダヤ人ゲットーに住みついた始祖マイヤー・アムシェルは、自分

 の家に“赤い楯”(ドイツ語でロートシールト)の標識をつけていたことから、人々はロートシールト

 つまりロスチャイルドと呼ぶようになった。 彼は小金を元手に両替商を始め、一代で財を成した。 

  のち財産保全のため、5人の子供たちをヨーロッパの主要都市に分散させ、長男を地元に、

 次男をウィーン、3男をロンドン、4男をナポリ、5男がパリ。 後に“ファイブアロー”(5本の矢)と

 呼ばれるヨーロッパに君臨する大財閥に発展させた。

  ナポレオンのワーテルローの敗戦を5男がいち早くロンドンに伝え、ポンド暴騰で巨額の財産を

 作ったのは有名だ。 国家とは無関係な独立した無国籍ビジネスの可能性を最初に確立した。

                                    2011.05.26(木)

 

 

  魔術のプリンセス 二代目/引田天功(1956-   )とは、

  いいものはいい、ダメなものはダメ

  二代目・引田天功は、新潟県新井市に誕生した。 女優を目指して東京に出て、事務所での活動

  中に初代・引田天功のアシスタントになった。 初代・引田天功は、日大工学部出身で、松旭斎

  天洋に師事し、インテリマジシャンとして日本奇術界のスーパースターとして他の追随を許さない

  アメリカの脱出物マジックも手掛けていた。 二代目・天功は、マジシャンとしての才能を発揮し、

  次第に観客の目に留まる存在となるや、初代・天功から遠ざけられていた。

   そんな時、初代・引田天功が急死し、二代目の声がかかった。 しかし、その後の日本での活躍が

  人間関係から発展せず、そんな時ハリウッドのマジシャンクラブの目にとまり、アメリカに渡った。

  「いいものはいい、ダメなものはダメ」とする厳しいアメリカのビジネスの世界を教えられ、それに

  打ち勝って、アメリカでの名声が日本に及ぶようになって世界的な活躍するマジシャンになった。

                                    2011.05.14(土)

 

 

  室町時代の能役者・能作者/観阿弥(1333-1384)・世阿弥(1363-1443)父子とは、

  秘すれば花

  父観阿弥は、伊賀(三重県)で生まれ、興福寺の保護を受け演能をつづけるうち、1374年

  将軍足利義満の目にとまり、その後は、義満の保護を受け京・大和を中心に活躍した。

  世阿弥は、幼少の頃より義満の厚い保護を受け、22歳の時、父・観阿弥が没したが、父の遺業を

  引継ぎ、観世流2世として、能を大成させた。

  著書の「風姿花伝」は、能を芸術的に完成させた父から、幽玄の世界に高めた世阿弥の名著である。

  舞台上の役者の美しさを目立たせる「花」が大切にされた。

  −四季折節ニ咲ク物ナレバ、ソノ時ヲ得テメゾラシキユヱニ、モテアソブナリ。・・・−

                                    2010.12.04(土)

 

 

  スイス生まれのフランスの哲学者、政治・教育思想家、作曲家/ ジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)とは、

  「自然に帰れ

  フランス革命は、この人を抜きにしては実現していなかった。

  革命を導く意図はなかったかもしれないが、当時の人間社会の政治・社会制度には、大いに疑問を

  いだき我々が何をすべきかを問うた意義は計り知れない。私たちがこの世に生きているこの生存の

  根本をなす出発点でもありながら、それすら知らずして生きていることには大いに疑問がある。

  いまの私たちの社会においても、このネット通販にしても、最大手のより良い製品が、こんなにも

  埋もれていること自体、大変な「国民的」損失である。

  流通革命、私はこの国の憂いを正にフランス革命の胎動を持って革新したい。

  なお、政治に関しては「社会契約論」を、教育に関しては「エミール」を同時に刊行している。

                                    2010.11.05(金)

 

 

  ドイツの哲学者、実存主義者/ マルティン・ハイデガー(1889-1976)とは、

  「存在を問うためにまず、存在を了解している現存在(人間存在)を分析しなければならない。

  現存在とはわれわれ自身であり、熟知されていると思われているが、しかしその存在構造

  は認識されているわけではない。

  現象学を創始したドイツのフッサール(1859-1938)が、1916年フライブルク大学に移り、ハイデガー

  を愛弟子とする。フッサールは、「素朴に世界の中に埋没」する生き方から、人間と世界のかかわり

  方を見つめ直す生き方へと、哲学の世界にとどまらず学問の各分野に影響を及ぼした。

  ハイデガーは、西洋哲学を徹底検証して「存在」自体の意味を問われていないことを明らかにし、

  「これは何であるか」と問うことはあっても、そもそも「在るとは何か」を問うてはきませんでした。

  自らの存在を感じられる唯一の人間を「現存在」とし、その現存在が世界の中に投げ出されている

  ことを「世界内存在」と言い、存在を問うための手がかりは、正に現存在(人間)にあるとした。

                                    2010.10.08(金)

 

 

  イギリスの繁栄を気づいた大女王/ エリザベス女王(1533-1603)とは、

  「どれほど高価な宝石よりも、私はこのひとつの宝石を大事に思っています。その宝石とは、

  皆さんの愛です。この宝石は、どんな宝石よりも、どんな富よりも、私には尊いのです。

  イギリスでは、女性は王にはなれなかった。豪腕家父ヘンリー8世も、後継者である男子誕生のため

  王妃を次々に替え、6番目の王妃キャサリン・パーが、前の后の2人の娘たちの不遇に同情し、遺言

  により王位継承権に至ったワケである。

  長男エドワードが若死にし、17歳年上のイギリス史上初の女王メアリー、そしてエリザベスになった。

  1558年25歳の若さで就任し、すぐさまウイリアム・セシル(1520-1598)を首相に付け、当時国を2分

  していたカトリックとプロテスタントに「英国国教会」を復活させることで国を統一させた(1559)。これは、

  父ヘンリー8世が離婚できないカトリックから独立し、英国国教会を作ったものであった。

  また、銀行家トマス・グレシャムの進言に貨幣の信頼回復を実施(1560)、イギリス発展の基礎を固

  めた。結婚は、国を舵切る男性になってはあやぶまれることを意識し、イギリスと結婚したと述べ、

  スペインの無敵艦隊との争いには自ら海岸に出向き、ドレーク(1543?-1596)の働きにより勝利する。

  絶対主義の時代にあって、真実国を思い国家国民のための言葉は「黄金のスピーチ」と呼ばれた。

                                    2010.06.08(火)

 

 

 「知識は力である」哲学者・政治家/ フランシス・ベーコン(1561-1626)とは、

  「人間王国の建設は、「人が人にとって神」となる文明状態への移行であり、人間愛にもとづく

  『技術の発明』によってのみ可能である。

  ニッポンの戦国時代、英国ではすでに科学技術への転機を唱導したフランシス・ベーコンが言うことは

  改めてニッポンの明治維新(1867)の科学技術の習得方法と人心のモチベーションのズレを感じさせる。

   当社扱いのニッポンの世界的新商品、除菌・消臭/『レスメルキン』−NASA採用!米国4大企業採用!

  特に大型の発明品(特許商品)への関心度でさえ、欧米企業社会とニッポン企業との取り組み姿勢の、

  「採用落差!」を見れば歴然である。

  欧米流儀、国際化/「世界標準」時代の今、欧米流「即・採用!」とする構造社会でないと、世界の体制

  が決まってしまう中、日本の除菌・消臭の特に“システム”の立ち遅れは、計り知れなくなるであろう。

                                    2010.06.02(水)

 

 

 小売業/「ウォルマート」の成功/創業者 サム・ウォルトン(1918-1992)とは、

  「雑貨店で成功を収めていたにもかかわらず、一店舗あたりの売上が低く、決して満足はせず、

   新しい事業を模索し始めていた。そんな時、視察した彼は、そこに明るい未来を発見した。」

  成功者に等しく言えることは、我欲がない無心になれることかもしれない。

 小売業ながら、自動車や石油といった巨大企業がひしめくアメリカで売上高世界一の記録を打ちたてた

 サム・ウォルトンは、多くのマスコミ陣からの取材攻勢で彼らの期待をもろくも打ちのめしたことは正に、

 そんな人間性を想像させる。

  尤も、無心だけでこの世界が広がっていることではないのだけれど、そこには製造者へのものづくり

 にも負けない販売者のこだわりようがある。 ものづくりには日々の成長が確実だ、しかし、販売は違う。

  1962年、弟バド・ウォルトンと「低価格販売」と「満足を保証」のディスカウントストア「Wal−Mart」1号店

 を開業、ドミナント方式の出店で瞬く間に全米トップに躍り出る。1985年、フォーブス誌の長者番付で第一

 位になった。取材陣を驚かせたのは、全米一の大富豪ではなく、庶民と変わりぬ現場の生活だった。

                                    2010.05.15(土)

 

 

 ソクラテス以前の哲学者(古代ギリシア)/パルメデイア(前515-450)とは、

  「時間や空間のどこかに「果て」のようなものがあるとしたら、その「向こう」には何が在るのか、

   或いは無が存在しているのか、無が存在できるのか 

  科学はなぜ中国やインドではなく、ギリシャで生まれたか?

 科学的方法論の発達に不可欠な哲学概念の萌芽は、自由・平等・博愛社会を背景とする社会システムの

 存在が必要なのではないか。「すべてのものは水からできている」と語ったソクラテス以前の哲学者の祖

 ターレス(前624-546)は、イオニアの都市国家ミレトス(トルコ)のオリーブ油や穀物を扱う商人であった。

  クセノパネスに学び「真に在るものは不変だ」としたパルメニデスの「存在」の思想が21世紀も生きてる!

 地中海の商業都市・港湾都市は、内陸地域の農業中心社会とは対照的に、高度な階層化された社会構造

 もなければ、強い王権や官僚制度もなく、また強力な権力を持つ僧侶もいなかった。そこではアゴラ(市場)

 が唯一、商業的合理的な説明のみが通用する場であり、高い個人的自由度の中で生きていただけでなく、

 ずっと後18〜19世紀に誕生する欧米社会の共和制が登場するまでのどの地域よりも自由であったことだ。

                                    2010.05.04(火)

 

 

 オーストリア生まれのアメリカの経済・社会学者/Peter・F・Drucker(1909-2005)とは、

  「すべての文明、あるいは国の中で、日本だけは、目よりも、心で接することによって

   理解できる国である 

  経済学者というよりも未来学者と言ったほうが、的確な事績を持って未だに日本での信奉者が絶えな

 い魅力を持っている。彼の言葉には、50年前の言葉であっても今でも鮮やかに通用するその意味とは、

 人の研究者でもあったというしかない。日本とのかかわりは1934年、ロンドンでの日本絵画展の鑑賞から

 というから、意外な接点を通してのスタートでもあったワケだ。

  日本にもたびたび来日された親日家で、彼の言葉、内容、洞察力には、多くの方々に感銘を残している。

 私が注目する日本情報で、銀行員の多さを指摘された項目がある。5分の1の人数でこと足りる行員数は、

 現状250万人も抱え込んだ日本の構造は異常に見えるという。

  彼の指摘は日本こそ、社会システムを「世界標準」にすべきだとの言葉の裏返えしに見受けられる。

                                    2010.04.26(月)

 

 

 アメリカという歴史にない共和国建設を導く/George Washington(1732-1799)とは、

  「人の胸の中にある良心は天の光です。あなたの心の中に、いつも天の光がかがやいて

   いるように どりょくしなさい。 

  ワシントンは、1775年から7年間に渡る独立戦争を大陸軍総司令官として戦い、勝利に導きました。

 アメリカでの植民地競争で、フランスとの戦いに勝利したイギリス本国が、アメリカに対してその負担

 を強要する印紙税に反発したボストン茶会事件(1773.12)等を原因として独立戦争になりました。

 大陸会議で民兵組織を預かりますが、イギリス正規軍と違い、訓練や兵器、食糧の不足などで苦戦や

 撤退を繰り返しながらも、当時400万人いた植民地の人も当初独立派は3分の1ほどだったのが、次第に

 支持者を得、粘り強くフランス軍の参戦を得られたことで勝利に導けたのです。

 独立戦争後には、各州を超えた連邦政府の機運が高まり、独立戦争の英雄として初代大統領に指名され

 公平無私な政治を心がけたのです。彼が3期目の大統領に指名されそうなとき、「民主主義を守るために

 は、同一の人がおなじ地位に長くいないほうが良い」といって退きました。

 以後、アメリカの大統領は、1940年まで2期8年を越える人はでなかった。   2010.04.07(水)

                                     

 

 大規模な産物廻しを成功させた/中井源左衛門(1716-1805)とは、

  「金のたまる人を運が良いという者がいるが、それは大きな誤りだ。遊興・奢りを禁じて

   ひたすら始末第一につとめれば、五万十万(両)の金は必ずたまる。」 

  当社近隣、日野町にあった近江商人です。日本で初めて株式制度を採用したといわれ、一代にして

 近江商人を代表する、江戸全期五指に入る豪商ですが、“始末”−すなわち倹約に努め、収支の辻褄

 を合わせることに徹した人物であった。

  中井家は、近江日野椀の製造をしていたが取引先の倒産で零落し、19歳のとき、思い切って製造から

 足をあらい、日野の合薬の行商に出た。競争の激しい江戸を避け地方都市を回った。

 初めは牛歩のごとくゆっくりとした着実な歩みであったが、晩年に向かうほど加速度的にその商勢を

 伸ばしていった。

  産物廻しに着手した事業は、近江商人が好んで採用した俗に「のこぎり商法」といわれる商いである。

 その土地にない商品を売り込み、その土地のものを外地に売りさばき、“双方”に利益を図った。

 文化元年(1804)、89歳の源左衛門の資産は、11万5000両に膨れ上がっていた。

 ただ近江商人は、紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門のような劇的な舞台に立つひとは一人もいない。

 (ご参考)近江商人『三方よし』とは、「売り手よし・買い手よし・世間よし」とした商取引の基本的な考え方。

                                    2010.03.22(月) 

 

 

 

 江戸中期の庶民教育の祖/石田梅巖(1685-1744)とは、

  「心を知り、こころを究める。商工は市井の臣、臣として君をたすくるは臣のみちなり。」

 京都亀岡の農家の次男。8歳で商家へ、5,6年で帰郷し、23歳で再び京の商家にでた。

 商いは「呉服商」。時は、元禄から享保に移り、8代将軍吉宗の期せずして質素倹約の緊縮時代である。

 初め神道関係の書を読み、のち半僧半俗の小栗了雲に学び、45歳で開塾し、神儒仏三教の折衷とした。

 儒は陽明学ではなく朱子学が強く、仏も禅が勝っていたという。石門心学の開祖。

  石田梅岩の教えは、通俗的な処世訓や、ありふれた倫理道徳ではなく、「真実の学問」とした点にある。

 すなわち、現実生活そのものの反省による自己の基本的な革新のほかなきを知らしめたる功績である。

 しかも、士農工商の最下位にある商人の自覚を促し、地位向上に貢献する。

 一.商人の売買するは天下のためにするのであって、決して自分だけのためではない。

 一.実の商人は先方も立ち自分も立つことを思うのであり、似非ものは人をだましてその座をすまし、

   ただ自分の利欲を図るのである。

 一.商人というとも聖人の道を知らずんば、同じ金銀をもうけながら不義の金銀をもうけ、子孫の

   絶ゆる理に至るべし。

                                    2009.11.26(水)

 

 

 明治維新の三傑/西郷隆盛(1827-1878)とは、

 「人を相手にせず天を相手にせよ。

  天を相手にして己を盡くし、人をも咎めず我誠の足らざるを尋ぬべし。」

  維新の三傑は、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允です。

 幕末日本を西欧列強からの侵略防止と近代国家建設へ導いた、世界に類のない歴史事実

 を打ち立てた日本人の誇りです。

  江戸幕藩体制下の当時の日本の現状から、近代国家への変遷には私心のない誰もがよ

 しとする国作りをしなければなりません。

  当時の偉人の誰をもが、己を磨き研鑚されてこそ成し得た人の魂が、昨今の現代人には

 如実に欠けている事実を知るものは私一人だけなのでせうか。

  まずは、礼に欠け、礼に及ばず、礼に至らずしてその礼をも知らずして己をもない。

 私たちが学ぶべきは、もう一度、人の人たる人の姿ではないでせうか。

                                     2009. 元旦

 

 

 

 神道無念流「錬兵館」/斎藤弥九郎(1798-1871)とは、

 「カユになるな、にぎりめしになれ」

  幕末から維新にかけては、さまざまな先覚者が日本に登場している。

 なかでも越中(富山)出身の斎藤弥九郎は剣豪にして教育者、軍政改革者、能史として

 特筆した才能を発揮している。神道無念流「錬兵館」は、伊豆韮山代官江川太郎左衛門

 の援助で29才でなし、塾頭桂小五郎(のちの木戸孝允)はじめ長州の門人多く、西洋砲術

 の高島秋帆、水戸の藤田東湖など多彩な人脈から能力も多彩に発揮し、維新への影響

 に最も評価される「剣豪」の一人である。 

  「カユになるな。にぎりめしとなれ。」と教える。

 藩の中でカユのように溶けてしまうのではなく、一粒の米として自分を生かせと説いた。

 日本のにぎりめしのなかの一粒の米になれと説き、幕末維新に活躍する人材を育てた。

                                     2008.12.31(w)

 

 

 

  世の中変わった。でも、変わらぬものがただ一つある。「近江商人十教訓」である。

 大切なものを失う社会を生み出している私たち自身、改めて商人の基本に立ち返ろう。

 

  1.商売は世のため人の為、人の為に奉仕して、利益はその当然の報酬なり。

  1.店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何(いかん)。

  1.売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる。

  1.資金の少なさを憂うるなかれ、信用の足らざるを憂うべし。

  1.無理に売るな。客の好むものも売るな。客の為になるのもを売れ。

  1.良き品を売ることは善なり。良き品を広告してさらに多く売ることは、さらに善なり。

  1.紙一枚でも景品はお客を喜ばせるものだ。

    つけてあげらるもののない時は、笑顔を景品にせよ。

  1.正札を守れ!値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ。

  1.常に考えよ。今日の損益を。今日の損益を明らかにしないでは寝につかぬ習慣にせよ。

  1.商売には好況、不況はない。いずれにしても儲けねばならぬ。

   ※没後20年、今人気の松下幸之助翁のことばにも上記が含まれています。 

 

                                     2008.09.19(金)

 

 

 

 

セールスポイント

 本を読むようになって、私はその都度“感動”した。 その心が私一人ではもったいない。分かち合うことが大切だ。

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