■当社の新しいパラダイム(経営モデル):【国内初】当社独特・メーカー発送/製造品質!
ものづくりの“原点”に学ぼう。
私たちが、買い求める製品や商品を生み出している製造現場の話はなかなか伝わらない。
日本のものづくりの原点ともいえる自動車産業の話から、最近の私たち商品調達のメーカー
との比較から、製造のあるべき姿を追ってみたい。
自動車産業の黎明期とは
日本に自動車産業が入ってきたのは、1924年(大正13年)にフォードが、横浜にコンベア
ラインを作ってT型フォードの組立工場が最初といわれる。日本は英語が話せて、中国より
ずっと進んだ国であるという認識であったというから当時の国際情報が面白い。
ライバルのGMは、その翌年、大阪にシボレーのノックダウン工場を持ち、のちビュイック
のラインも作って日本市場での制覇を目指していた。
大正末期から昭和初期が日本の自動車産業の黎明期といえる。
日米間の商習慣の違いが明暗を分ける。
のちに、トヨタ自販を創設して、販売の神様といわれた神谷正之助氏が日本GMに入った
のは1928年(昭和3年)、ロンドン帰りの英語ができることがさいわいした。
日本GMは、先行するフォードに追いつき追いこすべく独特で変わった府県別に分けた販売
代理店方式を採用し、あと一歩のところにまでこぎつけていたのであった。
しかしそのころから、日本政府は国防上の理由と産業新興策に重要な部品の国産化政策を
取り始めていた。急速な自動車産業の拡大から急速な自動車製造の減少は、そのころから、
日本の大企業中心に普及し始めた終身雇用や労資一体の運命共同体意識の日本の商習慣と、
超合理的な契約志向中心のアメリカの商習慣の違いとなって表面化してきたのであった。
単一民族の日本と、多民族国家アメリカによる国土の違いといってしまえばそれまでだった。
豊田自動織機製作所が自動車産業に進出!
このニュースを知った神谷は1935年、商社時代の先輩岡本氏を通して豊田の自動車事業計画
を率直に聞いた。岡本氏は当時豊田紡績の支配人で、専務(豊田喜一郎)が一生懸命にやって
おられ、試作はかなり進んでいるようだが、販売までは手が廻らないようで困っておられる
ようで、直接、喜一郎さんに会ってみないかと誘われた。神谷が是非そうしたいといい、その
場で電話を入れると「今晩会おう!」と、打てば響く返事が返ってきた。
名古屋の料亭ではじめて会う豊田喜一郎は、発明王・豊田佐吉の長男豊田財閥の御曹司では
あるが、温厚で朴とつな印象の内に真っ赤な溶鉱炉に似た気性の秘めたものを感じたという。
「優秀な技術者を集め車を作るほうは大丈夫です。技術は親父の遺言で全て国産です。ただ、
販売の経験のあるものが一人もいないのです。神谷さん、あなたが豊田にきてくれるなら、
販売のすべてを任せたいのです。」神谷は喜一郎の言葉に驚いた。いくら岡本支配人の紹介
でも、初対面の自分に社運を掛けた自動車の販売を全て任せるとは耳を疑ったという。
当時はまだ神谷は日本GMの副支配人で、返答に窮した。
「いちど、工場を見せてもらえませんか。」というと、「今から行きましょう」と即断即決!である。
料亭から刈谷の工場までは車でも一時間はかかる、すでに夜の9時に入っていて、刈谷に着け
ば夜の10時過ぎになり神谷が戸惑っていると喜一郎は、
「心配入りません、製造の連中は気違いの集まりですから、この時間でもまだワイワイやって
ますよ。」という。
この場は、岡本支配人の提案で翌朝、刈谷に行く事になった。
神谷は次の日の朝、また彼に驚かされた。喜一郎は作業服を着て、自社で作った2トントラック
を自分で運転して迎えに来たのである。
着いてさらに驚いた事には、「試作」と聞いていた車が5台や10台かと思っていたが、予想を
はるかに越える200台ほどものトラックが並んでいたのであった。
日本の自動車は将来、アメリカのような基幹産業になる事、近日中に独立の会社を作る事、
将来はトラックだけでなく大衆車を作りたい事、大量生産のできる工場を計画している事など
熱く語った。豊田喜一郎は、日本の自動車産業の将来像をその時からすでにしっかりと見抜い
ていたのであった。
その場で豊田に入社を決意する。
昨日の初対面のいきさつ、工場見学での豊田喜一郎氏にはすっかり魅せられてしまった。
その情熱、そのスケール、その人格とそのスピードある行動力には驚きをもってその場で入社
の決意をしたのであった。
神谷はその日、日本GMの販売代理店をしている名古屋の販売店を訪ね、自分の決意を打ち
明けた。将来、強力なライバル店になろう店主の返答は神谷にまたもや驚きの回答を得るので
あった。日本GMに差し入れている多額の保証金を捨て、GMの販売権を無償で日本GMに返却
し、豊田の販売店になろうと名乗り出たのであった。
1935年(昭和10年)、神谷は名古屋のその第一号販売店で豊田の展示会を開き、日本の自動
車産業の販売をやがて確固たるものに築いて行くのであった。
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より新しい食品価値の誕生!
はじめています …おいしさへの独走!
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