■2016 スリランカ、紅茶プランテーションによる英国・リプトン卿の事業構築に共鳴して 稀代・三代目/近江商人
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紅茶の里- ヌワラ・エリアより、更に南30キロ ハプタレーにある-
山また山が、紅茶畑の
「リプトンズ・シート」を視察!
【当社/視察目的とは、】 2016年 3/8(火)〜3/27(日)まで
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1)当地訪問の、その目的とは何か? 2)商人とは、どういう人物をさすのか?
3)事業成功の、秘密とは何? 4)当社は、この訪問で何を得たか?
5)今の、日本企業の「世界戦略のお手本」がある。
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小さな山々がそれぞれに重なり合い、まるでシートをかけたような紅茶畑が続く。

※ハプタレーの駅からトゥクトゥクで、1時間ばかりのところにここ- リプトンズ・シートはあった。
●紅茶を誰もが手軽に、飲みやすくなされたリプトン卿に並ぶ。1890年(明治23年)、42歳〜

リプトン卿とは、
スコットランドの
食料品店の成功者。
慈善事業でサー!
そこに
売り込みに来られた
紅茶に出会って、
元から買えば
もっと安く出来ると
わかった。
1890年、銀行協会の
セイロン訪問で
ウバ州の農園を買って
安くて、美味しい、
リプトンティーを誕生、
当・近江商人の先達!
世界初の価格破壊を
実現なされた!
●士農工商のニッポンとは違う、
英国、商人であっても慈善事業で爵位の称号!
スコットランドで15歳の頃より手掛けた食料品店を、20もの店舗に成長させた40歳の頃、紅茶の
売り込みにあった。慈善事業をおこなってサーの称号を得ていた彼は、紅茶は元から買うと安く
なることが分かった。思案していた時、銀行協会からセイロンに行かないかと誘われ、現地で即
茶園を買ったという。以来、次々に大農園を調達し、巨大なマーケットをつくり誰もが安く紅茶を飲めるようになった!
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食事の後の紅茶- 良さ、広がる!
英国で期せずして砂糖革命という砂糖が安く手に入る時期に遭遇し、そのとき以来、砂糖を入れ
紅茶を飲む習慣が広がった。 また、アメリカでティーバッグが開発され、最初に採用したのが
リプトンであり、以来、世界中に紅茶を流通させるきっかけとなった。これらは福ウンかな?
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ここで考えた-
リプトン卿の事業構想とは、
もともと紅茶というのは中国で発明されたものだった。
イギリス人がその手間のいる製法を、機械化し揉捻機や萎凋機といった開発によって
量産が可能になったのである。
ところが原材料は中国にしか出来なかったので、銀での購入になったわけだが、その銀が
足りなくなってアヘン戦争(1840)になったワケだ。
前後するが1823年、英国の植物学者ロバート・ブルース大佐がインド・アッサムで野生する
茶の樹を発見していて、のち中国人の栽培家をインドに送り込んで展開したのであった。
リプトン卿が、セイロンでの紅茶プランテーションに着目したのは1890年からであり、西欧の
ワイン造りと同じような現場造りの製法を、ここに来て調査し研究をし、推進させていったのである。
ニッポンの明治維新には、西欧列強の富国強兵を見習い、この紅茶の研究にも人材を派遣し、
文明国家としての国造りに傾注されたことはあまりに知られていないが、国家としての紅茶の育成に
断念をしたのは、100年後の昭和40年代と云われている。
紅茶に適した茶樹の栽培には、土地の環境や地質、気候、風土などさまざまな因子が絡んでいることが
分かってきたワケだ。キリンの「午後の紅茶」は、そんな経過の後、ニッポンに誕生している。
●もっと大局の観点から言えば、海に囲まれた北風によって、赤土のここでも潤いの命を養う。

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Sir Thomas Johnstone Lipton
出身:スコットランド/グラスゴー(1848.5/10 〜 1931.6/2) ・・・紅茶事業に賭したか、生涯独身だったという。
名言
「宣伝のチャンスは決して逃すな。 ただし、
その商品の品質が良いことこそが、条件である。」
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小社事業、更に高尚にして高潔に
【事業再生】/リストラクチャリング!
その-
“事業は一人より興り、一人より育つ。”
事業というものは、世の中に登場するにいま、この世は正にたった「一人」より動く。
過去の歴史を紐解いてもそれはまったく同じだ。またそれは、我が国のことだけでなく、諸外国、
世界中が正しくそんな起業の出立にぶつかる。
今私はここに、明治以来の躍動感ある創業期だけでなく、また敗戦経済の日本復興の姿を見ても
そこには日本を動かしたたった一人の『種まき人』がいる。
私は今ここに訪ねたイングランドのサー・トーマス・ジョンストン・リプトン(1848-1931)の紅茶起業
も、彼なくして世界のリプトンは成し得なかったであろう事をここに証明して見せた。
尤も、彼に幸いした『砂糖革命』は、当時の格安の砂糖の流入で紅茶との最適なマッチングをみせた。
また、アメリカで独自に開発された『ティーバック』は、当時のリプトンをして世界中に広めたことも
彼にとって幸運の極みであるが、何より紅茶に賭けるリプトン卿の意気込みあればこその登壇である。
当社もまた、私がここに展開する『業界最大手の一極集中』は、いま私しかおらない。
この私をして世の中の支持を得られなければ、世の中に最高に良いものの製品が育たない、もっと
広く世の中に展開できない状況になる。私がリプトンに学ぶのは、狭量なお金儲け事業展開ではなく、
真に良いものを第一に普及させたいがための、良い製品への追求のみである。
平成28年5月15日(日) 稀代・三代目/近江商人
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決しておごらず、
当社は 最大手/直販社、も一度検分しよう。
・2003年 日本ハム/メーカー発送! ・・・世界ランク第3位へ
・2006年 レスメルキン/日本初の二酸化塩素剤の販売!
・2008年 業界最大手3社/花火セット(夏期限定)あっせん!
・2009年 第一発見者の無添加・熟成/黒にんにく あっせん!
・2012年 経済学者・シュンペーター理論/推進!
・2016年 先達商人、リプトン卿の功績へ ・・・元から調達!
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もう一つの輝き!
●スリランカ/ニッポンの恩人とは、
「1951/サンフランシスコ講和会議」/スリランカ代表外交官ジュニウス・リチャード・ジャワルダナ氏の祖国、
スリランカ(旧セイロン)を訪問する。 ・・・彼の演説は、1951年9月6日午前11時だった。
ジャワルダナ氏は言った。
「日本は、自由であるべきだ!」
1】アジア隷従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のため
アジアの諸国、セイロン(スリランカ)、インド及びパキスタンの日本に対する態度を
活気付けていた主要な理念は日本は自由であるべきであるということであります。
2】アジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅力があったこと
外国統治の下では、信仰や言葉、慣習などほとんど消え去るアジアの国民達は日本を賞賛し、
尊敬していた。先の80年間、日本はアジアにおいて独立国として立ち上がっていた。
西欧の列強が、その軍事力と貿易力によって世界を支配していた時に、あなた達は彼らと競い、
匹敵し、時には打ち負かしていた。
スリランカは、インド東方にある島国でありながら、日本史にはない5世紀創建のシーギリア・ロックほか、早く
から栄えた国で、西欧人のインド洋交易の重要拠点で、1505年ポルトガル人約150年支配。1658年オランダが
約140年間支配。さらに1796年イギリスが全島支配となり、独立は1948年と意識の高い文明の開けた地域です。
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ニッポンの戦後処理が話し合われた「サンフランシスコ講和会議」では、唯一ニッポンを支援し評価して、日本の
分割占領を回避させた演説は、欧米でも高く評価され、褐色の外交官としてあまりにも有名で、ソ連・ポーランド・
チェコスロバキアなどを除く49ヶ国が講和条約に署名し、翌年4月28日、日本が独立を回復したのです。
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より新しい食品価値の創造
はじめています ・・・おいしさへの独走!
業界最大手の一極集中! 稀代・三代目/近江商人
■モリ・ダイニング・サプライ/森口栄誠堂(薬房)
〒520-3403 滋賀県甲賀市甲賀町鳥居野902番地
TEL.0748-88-4910 FAX.0748-88-5138
お問合せは、Eメールかお電話にて担当:森口まで
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いいものを誰よりも早く発見し、より価値あるものを何処よりもお値打ちに、より高尚にして、より高潔にご提供しよう。
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